
新型コロナウイルスによる放送一時休止から3カ月弱、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」が帰ってきました。本能寺の変を起こした明智光秀を通して戦国絵巻が描かれる壮大なドラマもいよいよ後半戦、人気ライター木俣冬さんが徹底解説し、ドラマの裏側を考察、紹介してくれます。最終回直前の43話。本能寺の変に向けて役者が揃い、追い詰められる光秀。麒麟はくるのかーー
大河ドラマ「麒麟がくる」(NHK総合日曜夜8時~)第43回「闇に光る樹」(脚本:池端俊策 演出:一色隆司)。天正7年夏から一気に3年の月日が流れ、天正10年がやって来た。森蘭丸(板垣瑞生)も登場し、〈本能寺の変〉に向けて役者は揃った感。 この3年の間、光秀(長谷川博己)と信長(染谷将太)の仲はどんどん悪くなる。
月まで届く大きな樹を伐る夢
天正7年夏、光秀はようやく丹波を平定するも、敗北した者たちの命を助けてくれるように頼んだにもかかわらず、信長は斬った生首を塩漬けにしたものを光秀に見せる。それを運んで来たのは蘭丸。 「近頃 上様は何か焦っておられる」と秀吉(佐々木蔵之介)が言うように、信長の行いに誰もがついていけない。 東宮への譲位を画策する信長は御所替えの奉行を光秀に命じる。明らかに帝(坂東玉三郎)の覚えのいい光秀への意地悪であろう。 天正8年4月、大坂本願寺が大坂の地を信長に明け渡す。佐久間信盛(金子ノブアキ)が信長に追放される。 その頃、光秀は、月まで届く大きな樹を伐る夢にうなされるようになる。 京都に来ていた帰蝶(川口春奈)を訪ね、道三様(本木雅弘)ならどうするかと問うと、帰蝶は「毒を盛る。信長様に」と答える。 思えば、「麒麟がくる」第2話、道三は帰蝶の夫を毒殺し、その後、信長のもとに嫁ぐよう命じたのだ。
大嫌いな道三への気持ちを共有
あのとき「行くなと言ってほしかった」と帰蝶は光秀に言う。あの頃、帰蝶は密かに幼い頃から親しんでいた従兄弟の光秀(十兵衛)を想っていたが、光秀は振り向かなかった。 「あのとき ことは決まったのじゃ」 「いまの信長様をつくったのは父でありそなたなのじゃ」 「万(よろず)つくったものがその始末をなすほかあるまい」それが「父上の答えじゃ」と帰蝶はにやりと笑う。自分も加担していて、40話ではそれを認めていた帰蝶。光秀は「共に祟りをうけなければなりませんな」と言っていたにもかかわらず、なぜか「父でありそなたなのじゃ」と責任回避する帰蝶。すでに自分は信長から離れたにもかかわらず、いまだに関わって、さらに信長をおかしな方向に向かわせて手をこまねいていることを指摘しているのかもしれない。 毒を持って始末するという道三の考えを、帰蝶はどう思うか光秀は聞く。質問の仕方が慎重である。道三と帰蝶の考えを混在しない。 「私はそんな父上が大っ嫌いじゃ」と帰蝶は笑い、 「私も大嫌いでございました」と光秀も笑う。 長年親しくしてきたふたりだからこそ、大嫌いな道三への気持ちを共有できる。彼らは、その大嫌いな偉大な人物に道を決められていまがある。 道三がお茶で毒殺した“あのとき決まった”ことは信長たちの運命だけでない。「麒麟がくる」という物語のトーンもそこで決まったと思う。SNSで盛り上がって、道三の注目度はあがり、その後も毒殺が何度も描かれた。邪魔な者はいともたやすく処分する、そうやって武将たちはてっぺんを目指して来た。 こうして最後に信長のもとに残ったのは光秀だけ。彼が信長を止めずに誰が止められようか。 「信長様あっての私でございます。そのお人に毒を盛るのは 己に毒を盛るのと同じに存じます」というあくまで生真面目な光秀のせりふから浮かぶことは、あれだ。人間が生んだ核によって誕生したゴジラを、人間がその手で葬ること。光秀は「ゴジラ」の芹沢博士のような使命を遂げないとならない瀬戸際に立たされている。「シン・ゴジラ」の主人公を演じた長谷川博己にはぴったりの物語であろう。
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